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名古屋高等裁判所 平成7年(う)289号 判決 1996年3月05日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人H、同I連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官寺西賢二名義の答弁書に、各記載のとおりであるから、これらを引用し、各論旨について、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。

一  事実誤認、法令適用の誤りの論旨について

1  所論は、要するに、原判決は、オウム真理教出家信者の被告人が、男性出家信者四名と共謀の上、教団から脱会しようとして行方をくらました女性医師(昭和三九年一二月八日生)を、山梨県上九一色村の教団施設に無理にでも連れ戻そうと企て、名古屋市北区内にある同女の実家を監視する目的で、平成七年二月上旬から中旬のほぼ連続した一〇日間、昼夜にわたり、近隣の共同住宅の一四階外階段踊り場に、繰り返して立ち入った旨認定し、<1>動機・目的が反社会的で正当性がない、<2>態様が組織的・計画的で執拗、悪質である、<3>結果として居住者や地域住民に与えた精神的被害も軽視できないとして、可罰的違法性を肯定し、誤想緊急避難の主張を排斥しているが、被告人は、女性医師の拉致を企てたものではなく、信仰心の変化の激しい同女が、家族によって強制的に精神病院に入院させられたのではないかと強く危惧し、個人的な動機からその安否確認のための監視をしたもので、女性医師に会えたら、その自由意思を尊重して真意を確認しようとしたにすぎず、その探索方法も、居住者の住居の平穏に配慮し、不審感を与えないように、男性信者が一名ずつ交替で、通常の生活時間帯に、共同住宅・共用部分の前記踊り場に立ち入り、約二五〇メートル離れた女性医師の実家を監視していたものであるから、仮に住居の平穏が害されたとしても、その程度は極めて微々たるものにとどまるもので、本件は、可罰的違法性を欠き、あるいは同女に対する違法な身柄拘束を誤信し救出を図ったことによる誤想緊急避難に該当し、被告人は無罪であるから、原判決には、事実の誤認及び法令適用の誤りがあり、というのである。

2  そこで検討するに、原判決の事実認定・評価及びこれに基づく可罰的違法性の有無や誤想緊急避難の成否についての法的判断に誤りはなく、その(補足説明)の項における説示も概ね適切である。以下、所論にかんがみ、説明を補足する。

(1) 所論は、女性医師が過去にも在家と出家を繰り返し、家族によって精神病院に強制入院させられた前例があったことから、被告人は、今回も同様の事態発生の危惧を抱き、同女の安否及び真意を確認する緊急の必要があった旨主張する。

しかし、女性医師の家族による精神病院への強制入院問題は、約六年前に同女が出家しようとした際のことで、その後は、同女が何回か在家と出家を繰り返しているにもかかわらず、家族において同様の手段は一度も取っていない。また、今回は、同女は、三歳の長男を教団施設に残したまま逃げ出して富士宮警察署に自ら保護を求め、同署に面会に来た教団の顧問弁護士に対しても、教団に戻る意思がない旨を明言し、脱会意思を強く表しており、右弁護士と同道した被告人も、この間の事情を知っていたものである。しかるに、被告人は、その後僅か約三週間ほどで、女性医師の意思の変化や家族による行動の束縛をうかがわせる格別の情報の入手もないのに、本件の一連の監視活動を開始しているのである。なお、被告人は、二月八日ころ、女性医師が教団施設に残していった預金通帳の入金や引き出し等の動きを調べたり、同月一〇日ころ、同女から実家宛のコレクトコールの有無をNTTに問い合わせたり、さらには、実行するまでには至らなかったものの、その頃、高校同窓会の為の案内状(記録第四冊八八三丁参照)を実家へ送ることを考えるなどしたりしているところ、これらの事実は、当時、被告人が、女性医師においては、その自由意思により、自ら、家族の庇護の下に身を置いている、と考えていたことをうかがわせるものといえる。以上の次第で、所論の主張の理由のないことは明らかである。

(2) 次に、所論は、被告人らは、女性医師を見つけた際には、その自由意思を尊重するつもりでいたもので、無理にでも教団施設に連れ戻す目的はなかったし、麻酔注射の器材などといった拉致の道具類をまったく準備していなかったのに、原判決は、信用性に乏しい共犯者ら(B、C)の捜査段階における供述及び被告人ら五名が一か月余にわたり女性医師の探索に専従、奔走したことなどを根拠に、同女を無理にでも教団施設に連れ戻す意向であったと認定している旨論難する。

しかし、女性医師の実家周辺及び本件共同住宅一四階外階段踊り場において、同女の探索に向けた監視活動をしたり、携帯電話で相互に連絡を取り合いながら、同家に出入りする家族らの尾行等に携わっていたのは、男性信者四名で、被告人は、サンガと呼ばれていた名古屋市中区栄にある教団名古屋支部の宿泊施設のマンション一室で待機する態勢をとっていたものであるところ、男性信者らが女性医師を発見した際の対応については、共犯者のみならず、被告人自身も、捜査段階において、平成七年二月二日のサンガにおける五名のミーティングで、「人のいないところまで尾行してから声をかけ、教団施設に戻ることを拒否した場合には、無理をしてでも車の中に入れ、国道四一号線沿いの豊山地内のボーリング場の駐車場で被告人が合流し、教団施設に連れていく」との打合せをしていた旨供述しており(B、C及び被告人の各検察官調書・記録四冊六二九丁、七一三丁、八五九丁裏)、右の被告人らの各供述は、関係証拠によって認められる、被告人及び男性信者四名が、連日にわたり綿密周到なミーティングを重ね、パソコンに「P・S・V・済度日誌」のファイル名で日々の監視活動等の経緯を時系列で詳細に入力・記録していたこと等にも符合するもので、その信用性は十分肯認できる。

また、拉致の道具類を準備していなかった点も、相手は女性一名であるところ、男性信者三~四名が乗用車などに分乗して同女の実家周辺に張り込んでいたということ、それ自体で機動力を利用しての拉致への準備態勢は整っていたといえるのであって、所論のいう、被告人らが同女の自由意思を尊重するつもりでいた旨の主張を排斥して、拉致の目的を認めた原判示に、疑義を容れるものではない。

(3) さらに、所論は、原判決が、犯行の態様につき、「教団ぐるみの組織的・計画的で執拗、悪質なもの」としたのは短絡的であり、執拗などとされる点は、被告人らの女性医師への安否に関する危惧の念の深さを示すものにほかならず、また、原判決の、犯行の結果等についての「居住者や地域住民に与えた精神的被害も軽視できない」等の認定ないし評価も、本件現場が、共同住宅の共用部分にすぎないこと等にかんがみると、不当であると批判する。

しかし、右は、被告人らに女性医師を拉致する目的はなかったとの異なる前提に立ち、しかも、本件犯行の一側面のみを過度に強調するなどした上での論難であって、いずれも理由がない。

すなわち、「秘密のワーク」として扱われていた本件女性医師の探索活動は、

<1> 正悟師である中部以西の教団各支部運営にも関与する西信徒庁長官の被告人が、平成七年一月末ころ、E(その階層は、師)及びB(前同、サマナ)を伴って前記上九一色村の教団施設から名古屋支部に赴き、同支部長らの了解を得て、出家信者のC(名古屋支部所属)及びD(大阪支部所属から中途で教団法務省に移る)を加えた五名で担当し、

<2> 本件犯行の前後を含む一か月余の活動実態も、

ア 女性医師の実家に数回電話して同女の居所を聞き出そうとし、また、T病院に電話して、同女の長男が同病院に入院する予定である旨の情報を得るや、二日間にわたり病室の名札を見回るまでして同病院を見張り、さらには、かつて同女が住んでいたアパートに侵入して室内を探し、

イ 乗用車、ワゴン車及び自動二輪車等のレンタカーを連日のように調達し、又は教団信者の乗用車や原付バイクを借用して、女性医師の実家周辺で張り込みをし、出入り車両の追尾等を重ね、初期の段階で家人に気づかれ、車のナンバーを控えられたり、警察官が駐車禁止の疑いで出張り、二月九日には、車内にいたEほか二名が、銀行強盗予備と間違えられて職務質問を受け、北警察署に同行されるトラブルがあったのに、その後も張り込み等を続け、

ウ 本件現場の外階段踊り場からの双眼鏡及び三脚付き望遠鏡による一〇日間にわたる監視のほか、女性医師の実家の内部の様子を探るために、偽名を用いての同家の不動産登記簿及び建物図面の閲覧、マルチバンドレシーバーによる同家の電話盗聴(結果は失敗)、挙げ句は、同家の斜め前アパートの一室を賃借しての監視カメラの設置までしていた、

というもので、

<3>右の活動に要した費用も、共犯者名のレンタカーの借り賃だけでも約一四万円余り、オウム宛の領収書を徴した右監視カメラ等の各種物品の購入代金が合計約二八万円余りであり、他の信者の了解を得て、同人名義で借り受けた右アパートに関する相当額の出費を除外しても、相当の額に達しており、

居住者や地域住民に与えた精神的被害についても、

<1> 約九〇世帯が入居している本件共同住宅では、本件犯行を知った同年四月ころ、団地内の複数箇所に「関係者以外立入禁止」等の張り紙や表示板を掲げ、各戸に所轄警察署への通報に関する印刷物を配付するなどしており、本件が居住者に及ぼした不安・不快感の強さは否定できず、

<2> 本件の監視活動の対象とされ、多種多様な手段により、執拗につきまとわれたことによる、女性医師の家族らが被った、長期間にわたる緊迫感、心労及び畏怖心の深さは、単なるプライバシーの侵害の域を超えた深刻なものになっているのであって、

これらを総合すれば、本件犯行の態様及び結果等に関する原判示に、事実認定ないし評価の誤りのないことは明らかである。

(4) なお、所論は、原判決が、その(量刑の理由)の項において、検察官でさえ言及しなかった、被告人が本件犯行につき「事ある毎に教祖の指示を仰いできた」旨の事実を認定しているのは、事実を誤認したもので、破棄を免れないと主張し、被告人も、捜査段階から当審に至るまで、一貫して、このワークに関し、教祖と会って指示を受けたことは一度もない旨、強く否定する供述をしている。

しかし、前記(3)で詳述した、本件の教団ぐるみの組織的、計画的な犯行態様に加え、前記二月九日の警察官とのトラブルにつき、被告人は、当日、Dらに対し、教祖に報告すると伝えて上九一色村に赴き、翌日、名古屋に戻った際も、教祖からワーク続行の指示があった旨を告げ、教祖には待たされた上で五分か一〇分くらいしか会えなかった旨の具体的な話をし(記録四冊八〇五丁~八〇七丁)、また、警察に対する教団の抗議ビラ(同九〇一丁)も撒かれていることなどの諸事情を総合すれば、本件についての教祖の関与を推認することができるし、これを被告人に有利な事情のひとつにも掲げている原判決に、所論の事実誤認はない。

二  量刑不当の論旨について

所論は、仮に、被告人の行為が住居侵入罪を構成し、有罪を免れないとしても、前科前歴のない被告人を懲役一年の実刑に処した原判決の量刑は、住居侵入罪の量刑動向と比較し、重過ぎて不当である、というのである。

しかし、本件は、宗教法人オウム真理教の上位の幹部信者であった被告人が、下位の男性信者四名と共謀の上、教団から脱会しようとして行方をくらました女性医師を見つけ教団施設に連れ戻すため、同女の実家を監視する目的で、ほぼ連日の一〇日間、昼夜にわたり、右実家の近隣に所在する多数人の居住する共同住宅の一階出入口からエレベーターを利用して一四階外階段踊り場まで繰り返して立ち入り、もって故なく他人の住居に侵入した、という事案であって、これに対する原判決の(補足説明)の項における評価に誤りのないことは、既述のとおりである。そして、原判決が(量刑の理由)の項において説示するところの、被告人は、他の信者を犯行に引き込み、共犯者間で指令塔として活動した旨の評価が正当であることも、前述のように明らかである。

これらの事情に照らせば、被告人には前科前歴のないこと、原判決後における、宗教法人法に基づく教団に対する解散命令の確定、教団に対する破産申し立て、さらには、破壊活動防止法に基づく団体規制に関する手続きの進行といった教団をめぐる状況の変化の中で、被告人が、当審において、教団施設における宗教活動が困難になったときは、実家に戻り、個人としての修業を積む旨の心情を吐露していることなど、関係証拠によって認められる被告人に有利な諸事情を斟酌しても、被告人の役割の重さ、本件犯行の特異性及びその影響の深刻さ等に徴すれば、原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。

なお、所論は、男性信者三名が刑の執行を猶予されているのに、原判決は、被告人については、今後も教団施設に戻って活動を続ける決意を強く表明していることを理由に、本来は執行猶予が相当の事案であるにもかかわらず、実刑を科したもので、その量刑判断には、被告人の信仰や思想を理由として差別的取扱いをした憲法違反があると主張する。

しかし、原判決は、本件犯行がその一環をなすところの、脱会信者に対する教団ぐるみの組織的な拉致計画に関連して、被告人が、今後も同種の非違行為に及ぶおそれが高いとする一事情として、被告人の教団への帰属意識の強いことを問題にしたにすぎないから、右違憲の主張は前提を欠くものであるし、共犯者との量刑の均衡をいう点も、上命下服の関係が強い教団内で、犯行を主導した組織上位の責任者と、その指示に従って行動をした者らとの間に、罪責を問う上で、大きな質的差異があることは当然の理である。

以上のとおり、量刑不当の主張も理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の本刑に算入することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 志田 洋 裁判官 川口政明)

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